私はこういって人をよく見下している。
ここで言う「えんじゃく」は『燕雀(えんじゃく)安んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや』の燕雀だ。
「つばめ」とか「すずめ」みたいな小さな鳥は、は、「おおとり」と「くぐい」という大きな鳥の志を知らないの意。
会社で何にも考えていない小物たちがさえずっているため、つい思ってしまっている。そして稀に口から漏れ出てしまっている。
ただ、今日新たな言葉を覚えた。『欣喜雀躍(きんきじゃくやく)』だ。
「すずめ」がぴょんぴょんと飛び跳ねて、小躍りするほど大喜びをすること。
『雀の涙』や『雀の千声(せんこえ)鶴の一声』のように、小さいものや影響力のないものの例えのように使われがちな「すずめ」だが、
この言葉では可愛らしいポジティブなイメージで使われている。
小さきもののネガティブイメージを創り出しておいて、ここだけ可愛くするなんて、矛盾したキャラクター造りである。
この矛盾をなくすため、また私のような大物でも使いやすいように新しい言葉を作ることにする。
『欣喜鵠躍(きんきこくやく)』だ。
「すずめ」ではなく「くぐい=白鳥」が飛び跳ねて喜ぶこととしたい。
そういえば、「すずめの鬼」みたいな字があったんじゃないか?と思いだし検索をしてみた。
雀鬼(じゃんき)だ。
雀鬼とは麻雀(マージャン)の鬼。つまり麻雀がめちゃくちゃ強い人のことだ。
マージャンというゲーム名に雀が使われているのは、中国語の発音が~とか色々あって、由来に「すずめ」は関係なさそうだ。
(現代の中国では、麻将というらしい。)
なお、雀鬼=誰か?ということで調べたら、「桜井章一」と「色川武大」という人名が出てきた。
古くは「色川」を雀鬼の異名を持っていたが「桜井」を雀鬼と呼ぶことが一般的となったため、
「色川」は区別するために雀聖と呼ばれるようになったとのこと。
朝だ!徹夜だ! と言っていた居眠り先生は、鬼から聖人になったのか…
と終えたいところだったが、本を読み進めるうちに、また「すずめ」に出会ってしまった…
『門前雀羅(もんぜんじゃくら)を張る』
網を張れば、雀が捕まえられるほど、訪ねてくる人が全くいないさびしい様子のこと。(「雀羅」は網のこと。)
「雀」と言う字を追っていると、門前雀羅を張る時間もなさそうだ。
(こちらから追っているのだから、使い方ちょっと違うかw)
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