「恩は着るものであって、着せられるものではない。」
確か、池波正太郎の小説にたびたび出てくる言葉だったと思う。
この行為は、自分から相手に対して尊敬の念なりを持つことにより、相手からも好ましく思われ、
相互尊敬の関係を築きやすくするものだ。
そんな相手からの感情を引き出すまでの下心を持って着るつもりはないが、結果としてそうなると思う。
スティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』で言うところの、「win-win」の状態だ。
近江商人の言うところの、「三方良し」も同じことを言っているだろう。
(売り手・買い手・世間と、winが更に一つ多くはなっているが…)
表現や言葉を変えても、昔から人間が考えることは同じようなものなのだろう。
私も恩は着るものだと肝に銘じて生きているつもりだが、なかなか返す機会がなく難しいことがある。
その時に便利だと思うのがプレゼントだ。
これで恩の全てを返せるとは思っていないが、感謝の一部として表現をするのだ。
最近は、いつ恩を着るか分からない!とビクビクするため、
プレゼントを予め抽斗にストックするという習慣を続けている。
(感謝する相手が見えない状態で用意するという下心・矛盾をはらみながら…)
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